病気を乗り越えて

わすれなぐさ

昭和58年に私は結婚しました。一年パン屋さんで働きました。パン屋を辞めたと同時に妊娠がわかりました。産婦人科に行き、喜びもつかの間、出血していました。
しばらく産婦人科に通いましたが、「今回は諦めましょうね」という先生の言葉で、結果は流産でした。非常に残念でした。
かなり私にはショックでした。そして静養してから、引越しして、不眠が始まり、どうして眠れないのか考えましたが、理由は分からなかったのです。
家でずっと過ごしていて、気力が沸かなくて、お姑さんや家族が心配してくれました。いろ
んな解決法を手探りし、家族も手探り状態で、そのうちどんどん痩せていきました。食欲もなかった。ただ寝るだけでした。
眠れないのが辛くて、朝方はかなり辛く、夕方になると少し楽になっていきました。
眠れない理由をつきつめていきましたが分からず、どんどんやけっぱちになっていきました。
お姑さんのお家に行って、メモを破り「死ぬ!」といって池田の駅前のほうに向かったのですが、その時に高校の恩師に出会って、一礼して、本屋に寄り、本を買って、自宅に帰りました。
この時、恩師に出会ってなかったら、どうなっていたことでしょう・・・?
その間、お姑さんは驚き、私の兄に連絡して、兄が私を探し、自宅にいることが分かり、家の外から私の名前を呼び続けていました。

家族が精神科への受診を勧めましたが、私は精神病院への入院が怖く、拒否的でした。しか
し、家族の説得により、初回の精神病院入院となりました。
病名はうつ病でした。でも、うつ病と言われても、すぐには理解できませんでした。
病気の知識はありませんでしたから。ノイローゼぐらいしか聞いたことはなかったから
です。
先生は病気の説明をして下さり、「必ず治りますよ!」と言って下さいました。
薬の服用で、40日ぐらいの入院で回復し、退院となりました。
しばらく通院し、薬がなくても眠れる状態にまでなりました。

この時期に、再び妊娠が分かりました。今回は、無事長男を出産でき、次に長女も無事出産できました。
妊娠中も、出産後も幸せでした。待ち望んだ子供でしたから・・・

しかし、再発が起きました。 軽いうつ病でした。
気力はありませんでした。一応家事はこなせる状態でしたが、何度か入退院を繰り返す状況となってしまい、その度に、長男はお姑さんに預け、長女は、兄夫婦に預けました。
入退院のたび、その繰り返しでした。
その間に特に子供を預かってもらう中での、いろいろな人間関係に悩み、苦しみました。
特にお姑さんと兄夫婦には、大変な苦労をかけてしまいました。本当にごめんなさい。
そんな中、通院している病院の主治医の先生が、もくよう会(保健所のグループワーク)を勧めてくださいました。「心の支えになるからと・・・」との理由でした。
もくよう会に通うことは、その後の私にとって大きな存在になる人との出会いにもなり、楽しく、支えになりました。
そして、人間関係が大変な時期に、兄から手紙をもらい、その手紙には「兄ちゃんも今保健所の相談員の先生とお話してきて、妹の病気のことで理解していなかったこともあり、反省することも多々あり、これからはこれを機に一歩一歩前進していこう!」という内容でした。
今現在、その兄とは、時々話をしますが、「今はあなたが元気でいてくれるのが、兄ちゃん孝行になっていて、あまり頑張りすぎずに無理はしないように。」と励ましてくれます。大変ありがたいです。

その内、最後の病気、そう状態になってしまいました。
そう状態では、子供を置いて、2〜3回カラオケに行ったり、高価な服を買ったり、電話を頻回にかけたり、家族にカリカリしたり、気が大きくなり行動的でした。
子供を置いての外出に、夫は怒って家に入れないようにチェーンをされ、締め出されました。明かりのついているところにいき、過ごしました。時間を潰すのに、朝までレストランで過ごしお金が無いため無銭飲食をはじめて経験しました。(次の日にお金は返しにいきました。)

最後の入院5回目の入院です。10ヶ月程入院しました。
ずいぶん周りにご迷惑をかけました。退院後、離婚になり、単身生活が始まりました。
入院中、退院後の離婚により、しばらく子供に会えなかったのが、大変辛かったです。
子供にも大変辛い思いをさせました。本当にごめんなさい・・・
今は、病気も回復して、再発しないよう薬を飲んだり、睡眠を十分とったり、気分転換を意識してすることで、落ち着いているようです。今は子供とも会える環境にあり、その存在は大きなものです。
もくよう会の後、池田作業所、ウォンバット、支援センター咲笑に通い、私の心の支えになっています。なくてはならない所です。
なぜ通っているかというと、自分のリハビリでもあり、ここに通うメンバーさんのために何かしたいと思う気持ちがあります。
特に不思議なのは、咲笑に来ると何かしたくなる、咲笑マジックにかかるからです!
「エンジンがかかると止まらなくなり、誰か止めて〜ちょうだい!」
そのことにより、自分の心がホッとして安らいでいるんです。
そこのメンバーさんや、職員さんが良いからでしょうか?

現在はピアヘルパーとしての活動もしています。今で4年目になります。初心に戻りたいと思うのですが、難しいです。
何年も働くと、傲慢になる部分も出てきてしまい、うぶな初心の時期に戻れるようにと思っています。無理でしょうか・・・?
「私に、ヘルパーむいているのかな?」と時々考えるときがあります。
でも今のところは、自分なりにマイペースで、利用者の方々に満足して喜んでいただけるよう、反省しながら、頑張りたいと思います。

自分もいつ再発するか分からないけれど、苦しいことがあっても諦めずに、前向きに進もうと思っています。
他のご病気の方も、辛いことがあっても諦めず、一緒に乗り越えていきましょう!
この病気になって良かったなと思うところは、家族と・メンバーさんと職員さんにめぐりあえたので幸せです。  皆さんもお体ご自愛ください。










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